1975年 8月2~3日
静岡 つま恋多目的広場吉田拓郎・かぐや姫 CONCERT in TSUMAGOI
Last Stage(AM3:00~AM4:35)
93曲目:たどり着いたらいつも雨降り
いつもの稚拙な小生のアレンジ弾き語りでございます。
この歌をやんちゃな兄貴は中学3年生、バンドで会津は盆地のど真ん中、
塩○中学校の文化祭りでヴォーカルを取っていましたっけ。。。
遥か37年前のお噺・・・
グループ:モップスでご存知の方もいらっしゃいましょう。
不幸はもう数年前の3月なのですね。加齢とともに時の過ぎる速さが加速。。。
ヴォーカルの鈴木 ヒロミツさん
引用ーーー
満州生まれ。私立芝高等学校卒業。武蔵大学経済学部中退。
東京都文京区旧・小日向台町出身。モップス時代は「鈴木ひろみつ」
「鈴木博三」とも表記。
1966年、埼玉で結成。結成当初のモップスはインストゥルメンタルバンド
「チェックメイツ」であり、メンバーは星、三幸、村上、スズキ幹治の四人で
あったが、そこへスズキ幹治の実兄である鈴木ヒロミツがボーカルとして
加わり五人組バンドとして本格的な活動が開始された。
1967年、ホリプロと契約。同年11月、ビクターよりシングル
「朝まで待てない/ブラインド・バード」でデビュー。いわゆるグループ・サウンズ
(GS)の中でも異色の存在として、コンサートはもとより、テレビ、映画、
米軍キャンプなどでの演奏でも活躍。
1969年にベース担当の村上が脱退。メンバーの補充はせずに三幸の
担当をそれまでのギターからベースへ変えて四人のまま活動を続けた。
またこの年に東芝音楽工業へ移籍。GSブーム退潮後も吉田拓郎、
井上陽水らフォーク勢に提供された楽曲をヒットさせるなどした後、
1974年5月に解散。
モップス解散後は俳優・タレントとして活躍。
モップスのGS末期、モップス解散時、短期間の在米時など、
引退を考えたことがあった。
(EXIT、鶴ちゃんのプッツン5で語る)
2007年3月14日午前10時02分、肝細胞癌のため東京都千代田区の
病院で死去。享年62(満60歳没)。医師の診察を受けた際には既に
病状が進行しており、告知も冷静に受け止めた。
入院治療より家族とともに過ごすことを選んだ。
戒名は「美雄永満愛大喜善居士」で、その戒名は生前に決めていた
と言う。戒名には自分の名や家族の名前の一部が入っており、家族を
愛する気持ちが込められている。
死去の2ヵ月後に公開されたオムニバス映画「歌謡曲だよ、人生は」で
ヒロインの死病を告知する医師、同窓会の8ミリフィルム上映で小学生
時代を回顧する初老男性の2役で出演しているが、撮影は自身が
告知を受ける前だったといわれる。
死去から2カ月経った2007年5月14日、亡くなる1週間前に行った
インタビューと、病床で書いたで妻と子供への手紙をまとめた単行本
「余命三カ月のラブレター」(幻冬舎刊 ISBN 9784344013254)が出版
された。
一周忌を過ぎた2008年4月23日に、鈴木の所属していたホリプロの後輩
である和田アキ子のデビュー40周年記念CDアルバム「わだ家」に、鈴木が
ボーカルを務めたモップスの代表曲「たどりついたらいつも雨ふり」
の鈴木と和田のデュエットバージョンが収録される。生前の鈴木の歌声に
和田が新たに歌入れをした。
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嗚呼合掌・・
草々 takuro&御伽噺
弾き語りです。
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