ブリキの唄
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この曲の歌詞
ブリキの唄
1 あの頃 僕たちは けして豊かでなく
だけど満たされぬ 不満もさほどなく
親父は 毎日 仕事場で ブリキをたたき
おふくろは 内職の ミシンを踏んでいた
10円 握りしめ 駄菓子屋に通った日々
夕暮れおそくまで 田んぼで遊んだ
故郷は今も 僕の中で あの日のまま
子供たちに もう見せてあげられない風景
ああ 時代よ 僕らを 置いてけぼりかい?
ああ 世代の ちがいで ごまかすかい?
悲しい唄 ばかり あの子に歌わせないで
きっともうすぐ きっともうすぐ 新しい朝が来る
2 若かりし夢 ガラス細工の心
欠けた すき間を 涙で埋め合わせ
想い出はいつか 都合よく 形を変え
何歳(いくつ)になっても 繰り返す ウソとなる
ああ 我が家も 妻と二人に 戻った
ああ 子供らも やがて気がつくだろう
本当の幸せ それは いつも目の前にある
きっともうすぐ きっともうすぐ 笑顔に戻れるさ
ああ 時代よ 僕らを 置いてけぼりかい?
ああ 世代の ちがいで ごまかすかい?
悲しい唄 ばかり あの子に歌わせないで
きっともうすぐ きっともうすぐ 新しい朝が来る
クレジット ORIGINAL
- 作詞
- バンカース浜中
- 作曲
- バンカース浜中
- 編曲
作品紹介
原題は『新しい朝』という二年前に作った作品ですが、
友人でMTのフレンドでもある神保涼さんが『ブリキの唄が・・・』と勝手にタイトルを変えて呼ぶ
もので自分の中でもいつのまにか『ブリキの唄』になってしまいました(笑)。
僕の父親は高知の片田舎で建築板金店、通称“ブリキ屋”を営んでおりました。
僕が幼少の頃はあまり裕福な家庭ではなかったですが、当時(昭和30年・40年代)は
どこの家庭も大体似たような環境だったので、特に貧乏だとか恥ずかしいとかの
感覚は無かったように記憶しています。
ただ誕生日とかでたま~に食べさせてもらえるお寿司とか牛肉のすき焼き
(当時すき焼きといえばクジラ肉でした)が、ワクワクするくらい嬉しかったですね・・・。
今の自分や子供達と比べると、逆に豊かになった今の方が幸福感が得られにくくなっているのかも知れません。
またまた年寄りくさいコメントを書いてしまいました。スミマセン・・・。
少し長い曲ですが良かったら聴いてみてください。
(写真は友人の佐藤コータローさんのブログから借用しました。
永い歴史に幕を引き昨年9月に閉店となった高知大丸の屋上プレイランドです。)
コメント12
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