「失踪する貯金箱」『A=432Hz』
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この曲の歌詞
歌詞です。
作詞:高一の時一番最初に詩をくれたお友達。(プラス曲に合わせて少し変更)
この世で 信じるものは 自分と 酒だけ
みんな 金に惑わされて 信用できない
皆さん 聞いておくれよ
貯金箱がない
家族に 聞こうとしたら
ひとりとして いない
みんなで 旅行に 行っちまったんだとさ
てめえらだけで 行くなら 行ったで いいけれど
なんで?
俺の 貯金箱が なくなってる?
皆さん 聞いておくれよ
ヒトの 「期末(試験?)」の時期に
海外旅行になんて 行く 家族があるか
「だから、そっと お出かけになったんだ」と
皆さん それはさておき
貯金箱の行方へは?
どうせ、俺が、(みんなが)留守の間に
ヘンなモノ? 買わないように
昨日の 燃えないゴミの日に 捨てたそうだ
・・・この世で 信じるモノは 自分と酒だけ
以上です。
昭和の当時から
まだ、高一で・・・このような確信?
・・がと思うと・・・
何か・・・感慨深いです。。。
クレジット ORIGINAL
- 作詞
- 高校に入ってはじめて確か?応援団で話し始めた 当時剣道部のクラスメート
- 作曲
- 当時の「AYA-C-GE」
- 編曲
- 当時の「AYA-C-GE」
作品紹介
まずはご興味のお有りの方々〜♪はこちらをご覧ください^^
木星がおひつじ座に入りました↓
https://www.youtube.com/watch?v=tqaspoYAwPU
2022年令和4年5月11日(水)友引
こんばんはあ^^
いやあ。今日も週間天気予報に逆らって?
こちらは終始良い天気で・・・
暗くなってから残っていた雲もなくなり
お月様〜♪もクッキリと見えておりました。^^
思い返せば、僕にとって。
通うだけで毎日が楽しかった中学時代
(支離滅裂な遊びが下駄箱限定で流行ったり、
とにかくその当時はクラスの中でイジメとか差別とかも
全くなく結構。理想的な中一時代でした^^)
ただ、やはり高校受験というある意味
イニシエーションが近づくにつれて
だんだんと人々の間が何かこう
ぎこちなくなって来たのを
止める事ができなかったのは
結構。寂しいものがありました。
皆様〜♪は所謂、義務教育時代で(に絞りますね)
何年生ごろが?一番楽しく思い出に残っていますか?
当時は偏差値だとか内申書(今でもあるのかなあ^^;)の
セットで受験できる高校が決まっていて
(あ。これ都立高校志望の場合ですが)
で・・・ワタシは中三の担任の方をはじめ
先生方にはとてつもなく嫌われていて
(別に僕は何とも感じなかったのですが)
よく。気に入らないと言われては
黒板の前に呼び出されて授業中でも^^;
ビンタされることが多かったようです。
所謂、ツッパリ(現代ではヤンキー?当時ヤンキーと言えば
確かファッションのひとつだったような気もします)
というか所謂不良(剃り込みとかボンタンとか長ランとかetc)
を誇示されていた方々からも「なんで?だ」と・・・
僕自身も外見を問わず誰とも仲が良かったと思うのですが
「お前ほんと可哀想だな」とか
言われる始末で。
ほんと。先生の虫の居所が悪いと
何かといちゃもんをつけられて
殴られてました(微笑^^)/
今ではそんな事あったら大問題になりそうな・・・
当時の体罰は別に大したことはないのですが
(この感覚がダメだったんだろうなあ^^;)
いやあ、中学に入ってなくなりましたが
「給食を完食するまで帰さない」は
一番きつかったです(苦笑^^;)
これはある意味、酷すぎる拷問の一種だと。
で。話戻します。
その中三の時の担任の歴史の女教師からみると。
僕が何でそんなに憎らしいのか?
わかりませんでしたし今でもわかりません^^;
結果としてお受験前の内申書は散々な書かれようで
揃って担当教科の先生方も右に倣えで
テストで仮に1番を取っても通知表は「3」せいぜい「4」
理由は素行が悪いとの事。
しかし・・・なぜか?模試とかの偏差値が
「72〜3」?ぐらいあったようなので
多分、尚更。嫌で堪らない様子だったのかな?
と・・・わかりませんが?
平和な昭和の学校の一コマ(微笑^^)/
に僕の「マイナス武勇伝〜♪」かも(苦笑^^;)
話は飛んでしまいましたが。
それで、実は当時行きたい都立高校はあったのですが
内申書が悪すぎて・・・
でも、頭来たので。。。
多分。
入試本番では300点満点(英国数)で
最低でも290点以上は(国語の作文系がわからないので)
後から答え合わせをしたら取れたと思います。
んなもんで・・・志望校に入れず
(まあ。どうでも良かったんですが
親が可哀想だったので^^;)
これから、どうしたもんかなあと思っていた頃に
その高校は不思議と音楽も盛んというか
かなりうまい先輩たちもたくさんいらして
「やっぱりこの高校で良かったんだなあ」と
今。振り返れば。
小中学校の担任の先生方に嫌われていなかったなら
この高校での色々な音楽的ART的な出会いが
なかったんだなあとしみじみと懐古しながら
音源を聴きながらいじっておりました。
「いまだ人生を語るな」と吉田拓郎〜♪先輩には
「脳天逆落とし」でも掛けられそうですが
ほんと。。。大切なことほど
受身〜♪で「よ===く」感性と直感〜♪だけを
頼りに苦のない方へ流されて行った方が
僕の場合だけ?かもしれませんが・・・
予定調和的な多分生まれる前に決めてきたであろう
人生の進路〜♪を寄り道をせずに
歩いて来れたのかもしれないなあと
思う昨今でもありんす(微笑^^)/
テレビはほとんど見ないとは言え。
寂しい残念な情報は耳に入りました。
また。それだけで違うことを書き残す時節も
訪れると思うので。。。
ただ。残念で寂しいです。
喜劇とかコメディアン〜♪の方々〜♪って
ほんと。すごくて僕なんか頭が上がりません。
尊敬する「モンティパイソン〜♪」の面々〜♪も
リーダー〜♪が帰還〜♪された後の集まりで^^;
遺灰を掃除機で他のメンバーの方々〜♪が吸い込んでいた
という手荒い送り方をされていらっしゃいましたが
(ちょっと日本という風土では苦情の嵐になりそう)
「どうぞ、どうぞ・・・」の遺構(^^;)ではありませんが
あのギャグに素直に笑えて涙してしまう時があったのは・・・
彼らが当時から今一番日本人の心に必要な事だと
気付かれていらしたのか?
魂〜♪からの「願い」でもあり「思いやり」だったのかなあと。。。
ちょっと。また涙腺が緩んでしまいます。
こんな時は後輩の皆さんはどうやって送るのが
正解なのか?悩むでしょうが。
喜劇〜♪の奥深さ。。。
少なくとも自身の人生が終了する前に
もっと!顔で笑って心で感動したいです(微笑^^)/
今回の曲は、高一の頃のその彼が
はじめてくれた歌詞をちょっと曲に合うように
アレンジした曲です。
心だけ昭和に帰って懐かしんで
楽しんで走馬灯のように
原風景が浮かんで来られたらしめたものです。
それでは。
今回も最後までお読みくださり
どうもありがとうございました。
雑な演奏ではありますが
随所にスパイスを塗りたくっておりますので
気が付かれる方々〜♪はお楽しみください^^
追伸:
このサイトにお越しの方々〜♪はもう
何度も同じ事をアナウンスしておりますが
「コント55号」の坂上二郎〜♪さんが
ご逝去された次の日に
一体?「何が?」起こったのか?を
もう1度振り返ってみてください。
でも。逆に考えれば・・・
それほど。喜劇〜♪とは
人々の心に光〜♪と真実〜♪と愛〜♪を灯す
役割をしていたんだなあと妄想〜♪しております。
ここで「4イン」について詮索するのは
今は辞めておきましょう。
くれぐれも。。。
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